漁業の話//Stories about Fishing

OGAWA Nobuhide

画像タップでインタビューを聞くことができます。

小川伸秀

1956年、小中山生まれ。先代も漁師で、最初は商船に乗っていた。漁師になってからは30年ぐらい。アサリ漁や海苔づくりが多いこの地区では数少ない魚獲り。好きな食べ物は煮干し。

小中山出身で、年は68歳。親父たち、先代だね、うちの先代も漁師だったから、もう小さい頃から漁師には慣れていた。

自分は学校を卒業してすぐ漁師になったわけではなく、船に乗っとったわけ。
漁師じゃない船、商船で、20年ぐらいかな、乗っていた。外航船に乗ったり、地元のエスコート船に乗ったりして、漁師になってから30年ぐらいかな。

子供の頃には、どのような環境で育ちましたか?子供の頃で覚えている風景はありますか?

もう貧しい生活だわね。
本当に食べるもんも少なかったしさ。でも麦ご飯は食べた覚えはないけど。あとは野に生えている、茅花(つばな)みたいなものを食べたりさ。ススキの小さい感じで、開く前に、その茎を割ると食べられるの。柔らかいところ、そんなん食べとったね。

あとは小さい頃は夏になれば海へ行って魚を捕まえて。小さい銛があって、それで鯒(こち)を捕まえて、その場で食べて。その場でね、海で焼いて。

海に出るまでに結構畑があって、夏にはスイカとかがあるもんで、それを拝借して海へ持って行って。罪の意識というよりそれが当たり前というか自然だったわ。

その頃の田原市の農業や水の利用状況はどうだったか?

やっぱり畑の方で豊川用水が来るまでは井戸を掘って。
もう近くが砂地で海なので、井戸を掘っても塩水が入ってたりなんかして、あんまりお百姓にとっては良かなかったんじゃないかなと思う。
雨の水を溜めてまくっちゅうことはなかったよね。湧き水もあったしね。近くにね、田戸神社っちゅう所があるんだけどさ、そこから地下水が湧き出る。
ワシは洗濯機がない時はそこで洗濯した。川で桃太郎と一緒だわ。川で洗濯しちょった。

同じ田原でも水の事情っていうのは地域によって違うんですね。

違うと思うよ。この半島先端は地下水がちょっと掘るとすぐ出てくるんですよ。先端の方だけだよね。

子供の頃や昔の田原市では日常的にどんなような料理が食卓に並んでいましたか?

煮干しが好きだった。納屋があってさ、煮干しを製造してるところがある。懐かしいわ。今はさ、乾燥機で作るじゃん。自分らの頃はみんな天日干ししてさ、カタクチイワシ、あれは美味しい。それとアサリね。

田原市の漁業についての話

基本的に漁師だと魚のイメージは強いけどさ、この辺りは貝だね。あとあさりと海苔。魚を獲る人の人口なんて、今も昔もそんなに多くはないから。

アサリは養殖じゃなくて?

天然、自分の頃は豊富にあったから。腰マンガってやつがあるんだけどさ、アサリは砂、泥、砂利の中におる。腰マンガで海に入って、基本的にはこれが一番多いね。深いところで獲る時は船の上から長い竿をつけて採ったり、瀬が出た時には潮干狩りみたいな感じで採るよ。

じゃあ、アサリは好きですか?

もう大好きだよ。今はないけどね。育つ環境が悪くなっただよね、県の職員の方らといろいろ交流して、いろいろ研究した結果、やっぱり海の環境だわ。温度が上がって。あと、下水道ですね。下水道で浄化されすぎた。窒素・リンが足りなくなって。綺麗にしすぎたね。海の生物にとってはプラスにはなっておらんみたい。

小川さんご自身もアサリはやってらっしゃったんですか?

僕は数少ない魚獲り。小型定置網っちゅう。
もう田原市では、5、6軒しかないよ。

漁業が盛んになったのはいつ頃からでしょうか。

太古だら。貝塚が結構あるので、ここには人間が住むようになってからもうみんな獲っているんじゃない?

豊川用水が開通する前、田原市の漁業にはどのような課題や制約がありましたか?

子供の頃さ、家に帰るのが嫌だったね。海苔をやっとるじゃん。
あの頃は天日干しでさ。朝、親父・おふくろらが海に出て、海苔を積んできて、家で製造するもんでさ、もう学校から帰ってくると手伝わされるじゃん。それが嫌で嫌でさ、うちが見えてくると道草しちゃうさ。
この頃の集落はさ、みんな海苔に従事しとったもんでさ、みんな一緒で子供らみんなそうだったと思うよ。冬の仕事だもんでね、海苔は。

結構大変?

冷たいもんでさあ。子供ながらに嫌な仕事だなとは思っていた。だから今小中山は2軒だけだよ。海苔の仕事やってるのは。

少ないですね。昔はたくさん?

500軒くらいやっていたよね? 組合員が半農半漁の時代ほとんどの家がやっとった。

用水の開通が漁業にどんなような変化をもたらしたかについて教えてください。

まあ従事する人が少なくなるわね。田地田畑がある人はお百姓専門になる人も結構おったしね、漁業をやる人口も少なくなってきたと思うよ。

それは漁業の方が危険だったから?

先祖が残してた田地田畑を活用するちゅうことも。まぁお百姓さんに聞かねば分からんけどさ。

小川さん自身はやめなかったということか?

うちは田地田畑もないしさ。親父が初代だもんで、昔から他の人らは結構土地を持っているのでね。そういう人らは百姓の方へ回っていく。畑をたくさん持っとる人とない人らの差がそこで出てくるよ。

漁獲量や環境の改善、漁業の多様化について

海の変化。環境の変化。やっぱり魚も変わってきてるしね。時期もズレとるし。ここ3、4年特にそうじゃないの?
獲れるものが変わってきて。今までおらん魚が来たり、いた魚がおらんかったり。人間の力じゃなんともしようがないじゃないかな。
昔は海苔は豊富にとれておったじゃん。もう海苔も1ヶ月は完全に遅いよね。どっちかっていうと用水ができて何か漁業に影響があったっていうか、今の気候の影響が。用水は直接関係ないと思うよ。漁業に対してはね。やっぱり自然環境とかの影響があると思う。

なぜ漁業に関わる職業につきましたか?

小さい頃から海のそばに育ったもんでさ、海に関係する仕事はしたいと思っていて、学校を卒業して、始めに言ったように20年くらい商船に乗っておって。
親父らは漁師やっとったじゃんね。

近海か、本当に遠くまで?

多種多様だよ。外航っちゅう意味合いじゃないけどね、ハワイパナマの間に1年くらいおったり、それで日本近海の石油コンビナートの所へ入ったり。
それから、油を運ぶでっかい船とか、ちょっと変わった船には乗っとったんだよ。補給船っちゅう、太平洋の方でマグロ獲ってる船が結構おるんだわ。

船に油とか食料、そういうものを補給する船とかさ。で、結婚してからまあ落ち着こうということで、地元でエスコート船っちゅうか防災船へ乗っとった。漁師をやる収入と自分がそういうサラリーマンじゃないけど、人に使われてやっとる収益ってどっちがええかというと漁師のほうが儲かるんじゃないかなという感じで漁師にシフトした。親父らがやっとった仕事をそのまま引き継いでやった。

ご自身は、どのように漁業を学んできましたか?

さっき言った通り親父がやっとるやつを見よう見真似という感じで。

お父さんと一緒って、どういう感じの船?

小さな船だわ。自分の仕事は小型定置網だもんでさ、海に網を張って、毎日その網を手繰りに、魚が入るのを待っとるわけ。天気が良ければ毎日その網を手繰りに。

網を見に行く時間は決まっていますか?

潮時。それを見計らっていたので、何時から何時という制限はないです。干満差でその様子でいくもんね。

定置網で主にかかるのは、どういうお魚ですか?

季節でやっぱり違うけどさ、今の時期だとブリ、キビレダイ、黒鯛、ヒラメ、コアジ。

一番儲かるお魚は何ですか?

どうだねえ、クロダイかなぁ。

かかるとやっぱり嬉しい?

まあそうだね、量があった方が楽しいでね。
だけどもたくさん獲るのもいかんだもん。値が下がっちゃうもんでさ。

漁に出ている時の印象的な思い出はありますか?

荒天の時にさ、出ていく場合があるじゃない。
やっぱりそういう時はやばかったなーっていう。昨日もそうだったしさ。昨日も途中で帰ろうと思ったんだけどさ、船まわりの波が大きくて、やべえなと思って、波の少ないところまで走っていって、戻ってきて。今朝もえらかったわ。

丘から海の状況を見るだわ、一回。自分で判断して、このぐらいでいけるなと思って行くだけどさ、今日も途中で辞めて帰ってきた。

そういうのはやっぱりお父さんから教えてもらった?

いや、自分の経験だよね。
この2日は危なかったね。女房がそう言ってた。この2日は怖かったって言って。

世代を超えて伝えられている漁業の技術や地域のつながりについての思い出やエピソードがあればお聞かせください。

将来については、息子も同居してたけどさ、まぁ息子にやれとは言えんねえ。やっぱり将来のことを考えると不安定な職業だと思うよ。だんだん自然環境が悪くなっとるもんで。もちろん俺の代で終わるだろうけどさ。なんちゅうかさ、漁師の先行きって、それほど明るくないと思う。
若い人に勧める職業でもないのかなと思ってるけどね。

すごく正直なお話だと思うんですけど、逆に漁業の魅力的な部分というのは何か感じていますか?

マイペースでやれることだよ。
今日はやる気ないなと思えばやめときゃいいしさ。
自分のペース、精神的には楽だね。

体を使う仕事だから、結構体力が必要?

もう要領だね、コツ。まぁ力もいるけどさ、 俺みたいに小さい体でもやっているしさ、女だってやっておるしさ。まぁ体力はあった方がいいんじゃろうけど、そんな関係ないね。
技術と言うと、網をきよる。修理する、その程度だ。俺はできんけどね。

やってないんですか?

女房が全部やるもんね。

何メートルくらいの網を使ってらっしゃるんですか?

浜から80間、80間っちゅうてもあれか。200メートルないか、150メートルくらいだったな。浜から真っ直ぐ沖に出して、今度はその一番大きいのが丸く囲った網を2つ使ってやる。場所によっても違うよ。遠浅のとことさ。遠浅がそんなに続いてないところとさ。だいたい今言った80間くらいの網の長さ。

一回やるともう毎回毎回繕わないといけない?

平均10日から2週間で網が汚れるじゃん。そうすると網を入れ替えて。やっぱりこういう天気の悪い日には網も痛むじゃん。
そういう時に掃除して修理するっちゅうかんじ。だで替え置きみたいな網を持っておらにゃいかんわけよ。

誰がどこに網を張っていいとか決まってる?

決まってます。
ここらも3軒やってるもんで、順番に大体そういう状況変わっていく。
平等になるように。

資源管理や環境保全のために地元の漁業者が取り組んできたことについて教えてください。

環境っていっても自然相手だもんでさ、人間がやるって浜掃除ぐらいだね。ゴミは、海岸に打ち寄せられるんで。あとはもう自然任せだ。

地元の子どもたちの漁業体験なり、海苔作りの体験なりありますか?

組合長が変わって、地元の小学校で潮干狩りを体験させとる、毎年。喜んでるよ~、本当に。

今後の田原市の漁業について、どのような期待や願いがありますか?

若者の育成とかなんかよく言うじゃん?だけど今アサリは無いわけじゃん。
10のアサリを10人で採るとさ、一つずつだけど、若者育成して12人で採るようになると、一人当たりの収入が減るじゃんね。だからやっぱりそういう若者の育成っていうのも必要なんだろうけど、今やってる人らにとっては、必ずしもプラスでもないしさ。たくさん採れるような自然環境でまたアサリが出てくればいいけど、どこまで期待していいかわからんしね。

やっぱり自然だもんでね、相手が。キャベツ1個植えりゃ1個になるのと違うだもんでね。不確かなことしか言えんね。

それでもやりたいっていう若者が出てきたら応援してあげたい?

「ちょっと待て」って言うな俺。

よく考えろ?

将来の展望が見通せんもん。やっぱり百姓とは全然違うと思うよ。

あんまりたくさんじゃないにしても、やっぱり海が好きだっていう人がいれば?

それはおるよね。釣りも多いしね。男の人は海がやっぱり結構好きだと思うよ。ただそれを商売にするかせんかはまた別の話だもんでさ。

それでもやっぱり残していきたいなって思う伝統とかそういうものがもしあったらお聞かせいただけますか。

そうだね、漁師がおらんくなると組合もなくなっちゃうしさ。だからやっぱり何らかの形で従事者はずっといてほしいわね。ここは海苔とアサリと潜水の貝採りと、自分がやっている角立て漁が主なんだけど、その他に今若いもんが牡蠣の養殖とかさ、そういうことをやりだしたもんでさ。まあ俺から先はそういうものに期待せにゃいかんのかなと思う。

田原で一番好きなところは?

自分の家だね。みんなそうだら?
俺ばっかじゃねぇだら。

子供の頃一番好きな食べ物は聞いたけど、今、大人になって好きな食べ物は?

やっぱり昔食べたニボシが食べたいなぁと思う。今はそんなニボシないもんでさ。天日で干したニボシなんて。
あの頃はやっぱり貧しかったもんでさ、そんなにうまくなかったかもしれんけど、うまかったです。そんでもうまかった。